広部周助<(文政4年-明治19年)
藩の重臣。佐幕派だったらしい。十五代忠旭、十六代忠交、十七代忠崇に仕える。
忠崇が会津若松城に赴いた際に同行、忠崇が仙台に向かった後も若松に残る。
その後一旦南総(おそらく国)に戻り「種々画策」(金策か)するが、既に忠崇は降服し、
唐津藩小笠原邸に禁固されていたので江戸にかえる。
根岸村に生還後は「守黒」と称して俳諧の道にいそしみ諦観の余生を送る。
山岡鉄州と交友があり、新政府の出仕も進められるが断る。
林家の家格再興を熱望していたがそれを見ることなく明治19年65歳で没す。
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